トレッキングを終え、ポカラに戻る途中で、気分の良い出会いがあった。
「日本人ですか?2,3分寄っていってください」
と、英語で呼びかけられたとき、私は「またか」と思った。
「飯を食っていかないか」と言われ、最初はいらないと言ったのだが、ついには断りきれずにダルバーツ(ネパール豆カレー)をご馳走になった。
美味かったが、その後請求されるであろう金品のことを思うと、おかわりはできなかった。
しかし彼らは金を要求しなかった。ボールペンすら受け取ろうとしなかった。
「このへんには、金や物を要求する人や子どもが多いが、その人たちと同じと思われたくないんです。」
感動した。トレッキング中の出来事ですさんでいた私には、まるでオアシスのようだった。
彼は、
「私の家はポカラにあるのですけど、明日の夕飯に招待します。」
と言った。私は喜んでその誘いをうけた。
翌日夕方4時。約束どおりに彼が迎えにきた。
最初私は彼が昨日の彼と同一人物に見えなかった。様子がなんとなく違うのだ。
今日の彼は、なんとなくワルっぽい雰囲気をかもし出していた。
彼の家に行く途中、「ダサイン(ネパール最大級の祭り)が終わったばかりなのでお金がないんだ」とか、「ネパールでは肉が1kg110ルピーもするんだ」とかの話を私にしてきた。なにやら意図的なようで嫌な予感がした。家に着くと、「肉を買ってくるから110ルピーくれ」と言い出した。頭の中がガンガンガンガンと鳴り出した。
しばらく頭が働かなかった。
「考えるから、ちょっとまってくれ」
混乱し考えがまとまらなかった。彼はトレッキングの旅において、私のオアシスだったのだ。
どういうつもりでそんなことを言うのだろう。彼は本当にお金がないのだろうか。今日は肉が食えるぞと奥さんや親戚に話してしまったのだろうか。100ルピーは日本円で250円。そんなに大きな金額じゃない。でも、問題はそんなことじゃない。問題はもっと別の・・・。何が問題なんだろう・・・。様々な考えが頭の中を廻り、廻っては消えていった。
「冷静に判断しろ」
と、自分に言い聞かせた。
「金を持ってる外国人に肉を買わせようとしている」という妥当な考えにたどりつくまでに多くの時間を費やした。いや、最初の瞬間からその答えには辿り着いていたのかもしれない。認めたくないその事実を認めるまでに、それだけの時間が掛かったのだ。
結局私は、I'm sorry と、話し始め、「自分は招待されたはずだ」ということや、「もしそれだけのお金が必要なら初めにそう言うべきであった」こと、「私は野菜だけのカレーで何の問題もない」ことなどを伝えた。そして最後に、
「私は心が傷つき、食欲がなくなったので、今からホテルに帰る」
と言った。
彼は、あわてて弁解し、なんとかひきとめようとした。
「妻がすでにご飯をつくってるから、少しでも食べていってくれ」
しばらく、「帰る」 「いや、ちょっとだけでも」 という問答をしたが、結局私のほうが根負けし、食べていくことになった。
飯ができるまで少し散歩しようというので出かけた。一杯飲まないかと言われて断りかけたが、金は彼らが持つというので店に入った。
ロキシー(ネパール蒸留酒)を3人で3本あけた頃、別の若者が加わった。
彼は例のサッカーボール基金の紙を私に見せ、寄付してくれと言ってきた。
いつものように断った。その紙にはアメリカ人、ドイツ人、オランダ人の署名と寄付金額が書かれていたが、同一人物が書いたことは一目でわかった。もう少し工夫しろと思ったが、なんだかその間抜けさが微笑ましくもあった。筆跡が同じであることを若者に伝えると「あなたは頭がいい」と褒められた。悪びれた様子もなく言う彼の態度に、私は苦笑した。
このサッカーボール基金の若者とのやり取りで、私の中の何かが変わった。
肩のあたりに張り詰めていたものがほぐれていくのを感じた。
「ここの飲み代、俺出してやるよ」
というと、彼らは「ラッキー」という顔で、さらにロキシーを3本追加した。
だました、だまされたというのがだんだんばからしくなってきた。
彼は昨日感じた「オアシス」とはかけ離れていたが、一般的な愛すべきネパール人だった。
「あまってるジャージや衣服はないか、薬はないか。あったらくれ。日本にはないか。あったら送ってくれ。」
その度に私は、「悪いけど、ない」 といいし、彼は私の機嫌を損ねないように 「No problem」 と気を使った。
一度、どうでも良いと思うと、その後は本当に楽しい夜になった。
どうやらバリアは私の方に分厚くはられていたようだ。
その界隈に住む若者やその妻、子どもたちと随分長い時間を過ごし、語り、笑い合った。
彼らの態度は彼らにしてみれば自然なことで、私が彼らにつまらない妄想を抱いていたからこそ、ショックを受けたに過ぎない。
日本からつれてきた手前勝手な常識や道徳心こそが、忌むべきバリアたったのだ。
そう思って付き合うと、彼らは興味深く、微笑ましく、温かい人たちであった。
彼らの家でもロキシーをしこたま飲み、完全に酔っ払ってホテルに帰り、いつのまにか寝てしまった。
次の日から、町を歩いていると、不良っぽい兄ちゃんたちが親しげに挨拶してくるようになった。
ポカラもまた、去りがたい町となった。